駄目なら駄目で構わない、但し決して許しもしない 「ああっ…。」 切ない声を出した響也が再び手をさし述べる。 「なんですか、子供みたいに。」 鋭い叱咤の声と大いに眉間に皺を深めた霧人の貌が、冷気を纏って響也の見下ろす。しまったと思うが手遅れだろう。兄の不機嫌とケーキの(よく見れば自分の好きな店だ)喪失のダブルパンチだ。 「ごめん。」 兄から視線を落とし、同じく降ろした手で身体の両側から支えてベッドに上半身を起こす。鬱陶しい前髪を掻き上げたら、ぐしゃぐしゃになっていた巻髪は指に引っ掛かった。それだけでも、自分がどれだけ凄い姿をしているのかわかって溜息が出た。 こんな状態なだけで、充分に兄の機嫌を損ねていたはずだ。 「ごめん、アニキ。」 「今、お茶でも入れてきてあげますから、せめて私が座る場所くらいつくっておいて下さいね。」 意外と穏やかな声が降ってきて、響也は驚いて顔を上げた。霧人は呆れた笑みはそのままで眼鏡の奥の瞳を細める。 「疲れているのはわかりますから、仕方ありません。」 「うん、ごめん。」 もう一度謝ってのろのろと身体をベッドから引き剥がす。足元に置いてあるゴミ箱を片手で掴んで手身近な紙屑を放り込んだ。その様子を見て、霧人は続き部屋の扉へと消えた。 ホテルの部屋は、二間でベッドルームとリビングに分れている。そっちには、茶器もそれなりに揃っていたから、目ざとい兄はこの部屋へ入る前に調査済みだったのだろう。直ぐに、トレーに乗ったケーキとお茶を持って帰って来た。 響也は脱ぎ散らかした服を掻き集めて、ベッドに置いたところだったから、慌ててハンガーに手を伸ばした。 「もういいですから、座りなさい。」 溜息と共にサイドテーブルに置かれたお茶は、豊かな香りを部屋に広げていく。芳香に響也はうっとりと瞼を閉じた。 「いい香り。」 「温度も美味しさに左右しますからね。」 雑誌が山積みになっていた椅子からそれを床に降ろして、霧人が腰掛けるのを見遣って、響也もベッドに腰を降ろした。 皿に置かれたケーキは、限定品で入手出来る数が少ない事で知られているもの。そして、自分が一番気に入っているものだ。 「ありがとう。手に入れるの、大変だっただろ?」 「そうですね。私の事務所に来た時に、職員に礼を言って貰えると有り難いですね。」 霧人はそう告げて、カップに口を付ける。響也はケーキを切り分けてフォークを刺してから、兄の手元にはケーキがない事に気が付いた。 「アニキのは? あの箱一個しか入ってない大きさじゃなかっただろう?」 「私はお見舞に来たのですから、残りはお世話を掛けているスタッフの方々にお出しするものでしょう?」 「…でも、うん。ありがと。」 一緒に食べるともっと美味しいんだけれど、浮かんだ思いは消した。兄の同意が得られない事を知っている響也はぱくり頬張った。見た目程甘くないクリームと果実の味わいが口いっぱいに広がる。 美味しいと思わず言葉が出てしまう旨さ。 「どうですか?」 「美味しい、美味い。もう一個食べたい。」 仕方ありませんねぇ。盛大なる溜息と共に兄が立ち上がるのを眺めながら響也は残りのスポンジを紅茶で流し込んだ。幾ら好きだと言ったところで、寝起きから何個も入るものではない。けれど兄は自分が好きな事を知っていて余分に用意しているのが常だ。それがわかっていて、僕はお強請りをする。 僕達の関係はやはり何処か歪んでいるのだろうと響也は思った。腹の奥底で相手の言動を探り合って予定調和を進めている。口に含んだフォークの先に歯を立てると異質なものが触れあう不快感に、ケーキの旨さは飛んだ。 content/ next |